→富岡製糸場→伊勢崎→日比谷 しょの8『富岡製糸場の肆(四)「生き血じゃないよ!ワインだよ!」』
2017年10月14日
群馬県富岡市にある世界文化遺産
富岡製糸場に来ておりまつ(^-^)/

明治5年に操業を開始した
この富岡製糸場でつが
なにしろ文明開化からまだ間もない
ついこの間まで江戸時代だった頃でつから
この操業も容易ではないことですた・・・
お雇い外国人にも沢山来てもらったのでつが

20代や中には10代の人も居て
ポール・ブリュナですら30代前半の年齢・・・
彼らもフランスから遠い異国の地に来て
ストレスをためる者も多く・・・

この建物などは

日本の女工たちに技術を教えるために招聘した
19歳から27歳の
フランス人女性4人の為に建てられた
洒落た洋風の建物ですたが

4人全員がホームシックで
わずか2年ほどで
帰国してしまったそうでつ(´;ω;`)

結局、仕方ないので
他の用途に使われたこの女工館でつが
今でも現役で研修などに使われてるそうでつ(´・_・`)

しょの女工館のお隣にあるのは

フランスの検査人2人の為に建てられた
検査人館なおのでつが

中でもべラン・プランと云う方などは
来てすぐに田舎に飽きてしまい
横浜に遊びに行ったきり
帰らずくびになっちゃたんでつって(゚∀゚;)

この検査人館の貴賓室は
当時のまま遺されてるんでつってお?

ちなみに、この検査人館

今では

チケット売り場としても活躍してるみたいでつヽ(´∀`)ノ

ちなみに、
当時、赤ワインを飲んでいたフランス人を
日本人たちは
フランス人たちは若い女性の生き血を飲んでる・・・
と思ってたそうで、女工になると
生き血を絞られる。
と、なかなか人が集まらなかったので
例の横田(和田)英さんが父親に勧められて
進んで女工になりにきたけど
とりあえず、当時の富岡の田舎さに大変驚いたんだとか・・・
まあ、ついこの間まで江戸時代だったからねえ~
外国人を見たことある人も極端に少なかっただろうし
しょれにしても、生き血・・・・・とか┐(´-`)┌
あら?
この記念樹は百日紅(さるすべり)・・・

なんか珍しいね?
記念樹に、さるすべりって・・・
この小さいマンホールは
よく見るとKATAKURAって書いてある・・・

片倉工業のオリジナルマンホールなんだね~
さて、今度は東置繭所のアーチをくぐって

裏手に回るようでつが
このアーチの下はなんと!

台車に繭や生糸を乗せたまま量れるように
巨大な秤になってるんでつって!!

しょんな技術が、もう実用化してたんでつね!

まあ、いつごろからなのかは知らないけど(゚∀゚)
(まさか明治5年ぢゃあないおね?(笑))
この工事中の場所は

元は乾燥場と云う建物があったんでつが

なんと平成26年の大雪により半壊の被害を受け

復旧工事中なんでつって・・・

職員さん曰く、おかげで今だけ
この場所から煙突の根元から見られるから
貴重ですよ~ヽ(´∀`)ノ!!って・・・・
(゚∀゚;;)

ポジティブ!!!
なんというポジティブか!!!

まあ、確かに稀有な景色かもしれん・・・
とくと写真を撮っておこう!!
あっ!!

顔出し看板もあるお?!v(o゚∀゚o)v

顔は出さないけどねーーヽ(≧∀≦)ノ

ってことで
此処でガイドツアーは終了~~(* ´ ▽ ` *)
職員さん、どうもありがとうございました~ヽ(≧∀≦)ノ
とってもタメになりますたおp(*^-^*)q
さて!!ちょっと見(撮り?)足りなかったとこ
を見に行くか~~!!
これは・・・・

社宅か・・・・・
また後で来ようっと!!

次回もお楽しみに~~☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
いつも読んで頂き、
本当にありがとうございます!!
ポチして頂けると嬉しいでつo(≧Д≦)o
てへ(≧∀≦)\

にほんブログ村



ポチ、どうもありがとうございますたm(≧∀≦)m
あなたの心の宝物が
いっぱいいっぱい増えますように!!!
群馬県富岡市にある世界文化遺産
富岡製糸場に来ておりまつ(^-^)/

明治5年に操業を開始した
この富岡製糸場でつが
なにしろ文明開化からまだ間もない
ついこの間まで江戸時代だった頃でつから
この操業も容易ではないことですた・・・
お雇い外国人にも沢山来てもらったのでつが

20代や中には10代の人も居て
ポール・ブリュナですら30代前半の年齢・・・
彼らもフランスから遠い異国の地に来て
ストレスをためる者も多く・・・

この建物などは

日本の女工たちに技術を教えるために招聘した
19歳から27歳の
フランス人女性4人の為に建てられた
洒落た洋風の建物ですたが

4人全員がホームシックで
わずか2年ほどで
帰国してしまったそうでつ(´;ω;`)

結局、仕方ないので
他の用途に使われたこの女工館でつが
今でも現役で研修などに使われてるそうでつ(´・_・`)

しょの女工館のお隣にあるのは

フランスの検査人2人の為に建てられた
検査人館なおのでつが

中でもべラン・プランと云う方などは
来てすぐに田舎に飽きてしまい
横浜に遊びに行ったきり
帰らずくびになっちゃたんでつって(゚∀゚;)

この検査人館の貴賓室は
当時のまま遺されてるんでつってお?

ちなみに、この検査人館

今では

チケット売り場としても活躍してるみたいでつヽ(´∀`)ノ

ちなみに、
当時、赤ワインを飲んでいたフランス人を
日本人たちは
フランス人たちは若い女性の生き血を飲んでる・・・
と思ってたそうで、女工になると
生き血を絞られる。
と、なかなか人が集まらなかったので
例の横田(和田)英さんが父親に勧められて
進んで女工になりにきたけど
とりあえず、当時の富岡の田舎さに大変驚いたんだとか・・・
まあ、ついこの間まで江戸時代だったからねえ~
外国人を見たことある人も極端に少なかっただろうし
しょれにしても、生き血・・・・・とか┐(´-`)┌
あら?
この記念樹は百日紅(さるすべり)・・・

なんか珍しいね?
記念樹に、さるすべりって・・・
この小さいマンホールは
よく見るとKATAKURAって書いてある・・・

片倉工業のオリジナルマンホールなんだね~
さて、今度は東置繭所のアーチをくぐって

裏手に回るようでつが
このアーチの下はなんと!

台車に繭や生糸を乗せたまま量れるように
巨大な秤になってるんでつって!!

しょんな技術が、もう実用化してたんでつね!

まあ、いつごろからなのかは知らないけど(゚∀゚)
(まさか明治5年ぢゃあないおね?(笑))
この工事中の場所は

元は乾燥場と云う建物があったんでつが

なんと平成26年の大雪により半壊の被害を受け

復旧工事中なんでつって・・・

職員さん曰く、おかげで今だけ
この場所から煙突の根元から見られるから
貴重ですよ~ヽ(´∀`)ノ!!って・・・・
(゚∀゚;;)

ポジティブ!!!
なんというポジティブか!!!

まあ、確かに稀有な景色かもしれん・・・
とくと写真を撮っておこう!!
あっ!!

顔出し看板もあるお?!v(o゚∀゚o)v

顔は出さないけどねーーヽ(≧∀≦)ノ

ってことで
此処でガイドツアーは終了~~(* ´ ▽ ` *)
職員さん、どうもありがとうございました~ヽ(≧∀≦)ノ
とってもタメになりますたおp(*^-^*)q
さて!!ちょっと見(撮り?)足りなかったとこ
を見に行くか~~!!
これは・・・・

社宅か・・・・・
また後で来ようっと!!

次回もお楽しみに~~☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
いつも読んで頂き、
本当にありがとうございます!!
ポチして頂けると嬉しいでつo(≧Д≦)o
てへ(≧∀≦)\

にほんブログ村



ポチ、どうもありがとうございますたm(≧∀≦)m
あなたの心の宝物が
いっぱいいっぱい増えますように!!!
スポンサーサイト