おんな城主 直虎 大河ドラマ館しょの2『気賀関所の弐』
2017年3月21日
雨の中、
おんな城主 直虎 大河ドラマ館に行こうとやってきた
かじぺたサンたち一行・・・・・
第一駐車場に車を停めたら
ルートが
気賀の関所を通り抜ける形になっていたので
通りすがりに
気賀関所(公式HP)を見させて頂こうと思いまつ(^-^)/

しかしながら
実は、この日・・・・・・・
生後1ヶ月になったばかりのマゴラを
初めて遠出(?)に連れ出した4人連れで
おまけに雨がそぼ降ってるので
かな~~り、駆け足でご覧頂きまつ(゚∀゚)\

気賀関所・・・・・・
来るの初めてヽ(´∀`)ノ
新居の関所は何度か行ってるんだけど
TAKUちゃんが来た!しょの4『浜名湖一周の参【舞阪松並木と新居関所(上)】』

新居関所は東海道五十三次の
表通りの関所なんでつが
こちらの気賀関所は姫街道と呼ばれる
脇通りの関所なんでつね~~

何で姫街道かって云うと
新居の方は東海道が1498年の明応地震により
海と繋がった浜名湖の開口部、今切口(いまぎれぐち)を
渡船しなければ行けなくなったためとか
今切(いまぎれ)と云う地名を縁起上避けたためとか
比較的監視が緩かったとかで
女性が良く使っていた街道と云う事らしく・・・・・

現在は毎年4月上旬に
姫様道中と云う行事が行われていて

美しい姫様や腰元たちの絢爛豪華な
行列が見られるそうでつお??
ま~~(-∀-)\
おいらは行ったことないンゴけどね~
本番所は入れないみたいだったけど
(雨であんまり観察しなかったから
良くわかんないけど)
こちらの向番所(むかいばんしょ)の建物は
入れるみたいだから
入ってみましょ~~~ヽ(´∀`)ノ

雨をさえぎる事が出来るなら
ちょっとした場所でも上々~~~

とばかりに入ってみますたが
小さいながらも沢山の展示があって
これは、なかなか(* ´ ▽ ` *)

本番所は、なんと昭和35年まで
現存してたそうなんでつが

もったいない事に取り壊して
民家に一部を使っていたとか・・・

現在の文化的視点に鑑みると
文化的価値のあるものや建物は
残っているものはなるべく残して保存していく。
っていう方向だと思うんでつが
昭和35年と云うと高度成長期
真っ只中・・・
あの頃は古いものに対するリスペクトって
あんまり無かった時代だから
仕方ないとは思いまつけどね・・・
こちらは、気賀の関守だった近藤家の
もっちんたち・・・・・

こうしてみると
やっぱり江戸時代くらいの方々って短命でつおね・・・
17歳で没してるかたもいらっしゃるし・・・

他にも、こんな資料が・・・・・

ま~~
クリック拡大しても
あんまり良く見えないので

御興味のある方は
御自分で行ってみてくださいまし(´;ω;`)

すみまてんのう~~~(つД`)ノ

こちらの、向番所では
女改めとかしてたみたい・・・



裏側から見ると

こんな感じ~~~(*^_^*)

しょして、裏には牢屋も・・・・・

山籠の変形型と唐丸籠・・・・・

唐丸籠は
町人や農民の重罪人を運んだ籠でつが

これは狭い・・・・・・
これに押し込められて
晒されながら運ばれるとか・・・・・・
今なら人権問題でつおね・・・・
こちらは山籠の変形型って書いてありまつね~

イベントで使ったものみたいでつけど
江戸時代は、こんな感じの簡易籠で
山道を越えることもあったんでつね~(*^_^*)
乗り心地悪そう(´;ω;`)
火縄銃や鳶口、矢筒なども

展示してありますたお( ^ω^ )b

次回は、この向番所の裏にある
遠見番所の二階に上がりま~~つヽ(≧∀≦)ノ
お楽しみに~~~v(o゚∀゚o)v
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雨の中、
おんな城主 直虎 大河ドラマ館に行こうとやってきた
かじぺたサンたち一行・・・・・
第一駐車場に車を停めたら
ルートが
気賀の関所を通り抜ける形になっていたので
通りすがりに
気賀関所(公式HP)を見させて頂こうと思いまつ(^-^)/

しかしながら
実は、この日・・・・・・・
生後1ヶ月になったばかりのマゴラを
初めて遠出(?)に連れ出した4人連れで
おまけに雨がそぼ降ってるので
かな~~り、駆け足でご覧頂きまつ(゚∀゚)\

気賀関所・・・・・・
来るの初めてヽ(´∀`)ノ
新居の関所は何度か行ってるんだけど
TAKUちゃんが来た!しょの4『浜名湖一周の参【舞阪松並木と新居関所(上)】』

新居関所は東海道五十三次の
表通りの関所なんでつが
こちらの気賀関所は姫街道と呼ばれる
脇通りの関所なんでつね~~

何で姫街道かって云うと
新居の方は東海道が1498年の明応地震により
海と繋がった浜名湖の開口部、今切口(いまぎれぐち)を
渡船しなければ行けなくなったためとか
今切(いまぎれ)と云う地名を縁起上避けたためとか
比較的監視が緩かったとかで
女性が良く使っていた街道と云う事らしく・・・・・

現在は毎年4月上旬に
姫様道中と云う行事が行われていて

美しい姫様や腰元たちの絢爛豪華な
行列が見られるそうでつお??
ま~~(-∀-)\
おいらは行ったことないンゴけどね~
本番所は入れないみたいだったけど
(雨であんまり観察しなかったから
良くわかんないけど)
こちらの向番所(むかいばんしょ)の建物は
入れるみたいだから
入ってみましょ~~~ヽ(´∀`)ノ

雨をさえぎる事が出来るなら
ちょっとした場所でも上々~~~

とばかりに入ってみますたが
小さいながらも沢山の展示があって
これは、なかなか(* ´ ▽ ` *)

本番所は、なんと昭和35年まで
現存してたそうなんでつが

もったいない事に取り壊して
民家に一部を使っていたとか・・・

現在の文化的視点に鑑みると
文化的価値のあるものや建物は
残っているものはなるべく残して保存していく。
っていう方向だと思うんでつが
昭和35年と云うと高度成長期
真っ只中・・・
あの頃は古いものに対するリスペクトって
あんまり無かった時代だから
仕方ないとは思いまつけどね・・・
こちらは、気賀の関守だった近藤家の
もっちんたち・・・・・

こうしてみると
やっぱり江戸時代くらいの方々って短命でつおね・・・
17歳で没してるかたもいらっしゃるし・・・

他にも、こんな資料が・・・・・

ま~~
クリック拡大しても
あんまり良く見えないので

御興味のある方は
御自分で行ってみてくださいまし(´;ω;`)

すみまてんのう~~~(つД`)ノ

こちらの、向番所では
女改めとかしてたみたい・・・



裏側から見ると

こんな感じ~~~(*^_^*)

しょして、裏には牢屋も・・・・・

山籠の変形型と唐丸籠・・・・・

唐丸籠は
町人や農民の重罪人を運んだ籠でつが

これは狭い・・・・・・
これに押し込められて
晒されながら運ばれるとか・・・・・・
今なら人権問題でつおね・・・・
こちらは山籠の変形型って書いてありまつね~

イベントで使ったものみたいでつけど
江戸時代は、こんな感じの簡易籠で
山道を越えることもあったんでつね~(*^_^*)
乗り心地悪そう(´;ω;`)
火縄銃や鳶口、矢筒なども

展示してありますたお( ^ω^ )b

次回は、この向番所の裏にある
遠見番所の二階に上がりま~~つヽ(≧∀≦)ノ
お楽しみに~~~v(o゚∀゚o)v
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