彼氏彼女の事情 しょの3『嵐の終わり』
昨晩の地震は震度の割に
被害が少なくて本当に良かったです。
もう地震はこりごりですね!!!
さて、本編です・・・
1億円当たっても足らないと思ってた。
5億円、必ず当たる!!!と
信じて疑わなかった宝くじは
もちろん当たらなかった・・・・・
でも、
当たらなかったことが信じられない位
おかしくなっていた・・・
身も心もずたぼろで
帰らない旦那を待ち続ける事に疲れて
夜中に民家も無い
寂しい道のはずれまで歩いた・・・
毎晩毎晩泣いていた。
毎日毎日疲れてた。
疲れ切ってコタツで寝てる時
学校からのプリントを持って来ても
「その辺に置いといて・・・」
子供の世話さえお座成りになった。
本末転倒とはこのことだ・・・
家族みんなが壊れた・・・・・・

だけど
終ることが無いと思ってた
忙しくも充実感の無い辛い日々は
突然終わりを告げた。
まず、ラーメン屋が閉店した。
ある大手ラーメン店と
フランチャイズ契約を結んでいた
こちらの本社の経営悪化で切り捨てられたのだ。
1月の新年会の席で3月まで。と告げられて
若い子達は泣いていたけど
おいらは心の中で『快哉』を叫んだ。
あまりに人手が無いお店を
自分から辞めるとは、とても言い出せなかったから
お店の方で終わりを告げてくれて心底嬉しかった。
だけどね、
昇給もあるよ!!麺を振れるようになったら
結構上がるよ!!!って調子いいこと言ってたけど
1年半、最後まで
たったの1円たりとも時給は上がらなかった。
なんか色々うそばっかりだったな・・・
店が終わるまでの3か月間
カレンダーに丸をして
閉店の日を指折り数えた。
更に、
激務で限界を迎えた旦那の闘う仕事場は
具合の悪くなる人続出で
結局、旦那は所属していた部署から移動になり
いつ帰るともしれない。から
定時に帰って来る。という
180度違う勤務体系になった・・・
MOちゃんは学校を卒業して家に帰って来た。
もう、いつ泣き声の電話がかかって来るか
電話の呼び出し音に怯えることも無くなり
えみママと
大声で電話越しに喧嘩することも無くなった・・・
穏やかな日が訪れたのだ・・・・・
だけど、
結構、後遺症があったな~~・・・
だって、ラーメン屋を辞めてから1年くらい
何処のラーメン屋さんにも
ラーメンや、働いてる人を見るのが嫌で入れなかったし
外にもほとんど出ずに青空は家の中から見て
1年間、引きこもって過ごした・・・
バイトしてたラーメン屋と同形態のお店や
制服が似てるとこには3年くらい入れなかったな(笑)
とにかく、働いてる人を見るのが辛くて辛くて
思い出したくなかった・・・
今でも、若干嫌だ。ホントはね(^^;)
でもね、
あんなに荒れ果ててた庭は
たった二日間で綺麗に出来た。
出来る時には出来るけど、出来ない時には
こんなに簡単な事も出来ない。
人には余裕が必要。
余裕を持つ。それが何より大切なんだ。
ってことに
あの時、気付いた・・・
やっと落ち着いた
それから1年後・・・
またまた、かじぺた家を揺るがすことが起こる・・・
Eちゃんが入院手術したのだ。
きっと、
あの辛い日々で
良くない黒い澱が少しずつ少しずつ
体に溜まって行ってたんだろうね・・・
手術は成功したけど
消化器系なので長かった・・・・・
毎朝病院に通って
面会時間終了の時間まで部屋に一緒に居て
1人で家に帰った。
時には仕事終わりのMOちゃんが迎えに来てくれた・・・
Eちゃんが退院して元気になり
本当の平穏な日々が始まった・・・・・
しょんな時だった
つづく
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信じて疑わなかった宝くじは
もちろん当たらなかった・・・・・
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当たらなかったことが信じられない位
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身も心もずたぼろで
帰らない旦那を待ち続ける事に疲れて
夜中に民家も無い
寂しい道のはずれまで歩いた・・・
毎晩毎晩泣いていた。
毎日毎日疲れてた。
疲れ切ってコタツで寝てる時
学校からのプリントを持って来ても
「その辺に置いといて・・・」
子供の世話さえお座成りになった。
本末転倒とはこのことだ・・・
家族みんなが壊れた・・・・・・

だけど
終ることが無いと思ってた
忙しくも充実感の無い辛い日々は
突然終わりを告げた。
まず、ラーメン屋が閉店した。
ある大手ラーメン店と
フランチャイズ契約を結んでいた
こちらの本社の経営悪化で切り捨てられたのだ。
1月の新年会の席で3月まで。と告げられて
若い子達は泣いていたけど
おいらは心の中で『快哉』を叫んだ。
あまりに人手が無いお店を
自分から辞めるとは、とても言い出せなかったから
お店の方で終わりを告げてくれて心底嬉しかった。
だけどね、
昇給もあるよ!!麺を振れるようになったら
結構上がるよ!!!って調子いいこと言ってたけど
1年半、最後まで
たったの1円たりとも時給は上がらなかった。
なんか色々うそばっかりだったな・・・
店が終わるまでの3か月間
カレンダーに丸をして
閉店の日を指折り数えた。
更に、
激務で限界を迎えた旦那の闘う仕事場は
具合の悪くなる人続出で
結局、旦那は所属していた部署から移動になり
いつ帰るともしれない。から
定時に帰って来る。という
180度違う勤務体系になった・・・
MOちゃんは学校を卒業して家に帰って来た。
もう、いつ泣き声の電話がかかって来るか
電話の呼び出し音に怯えることも無くなり
えみママと
大声で電話越しに喧嘩することも無くなった・・・
穏やかな日が訪れたのだ・・・・・
だけど、
結構、後遺症があったな~~・・・
だって、ラーメン屋を辞めてから1年くらい
何処のラーメン屋さんにも
ラーメンや、働いてる人を見るのが嫌で入れなかったし
外にもほとんど出ずに青空は家の中から見て
1年間、引きこもって過ごした・・・
バイトしてたラーメン屋と同形態のお店や
制服が似てるとこには3年くらい入れなかったな(笑)
とにかく、働いてる人を見るのが辛くて辛くて
思い出したくなかった・・・
今でも、若干嫌だ。ホントはね(^^;)
でもね、
あんなに荒れ果ててた庭は
たった二日間で綺麗に出来た。
出来る時には出来るけど、出来ない時には
こんなに簡単な事も出来ない。
人には余裕が必要。
余裕を持つ。それが何より大切なんだ。
ってことに
あの時、気付いた・・・
やっと落ち着いた
それから1年後・・・
またまた、かじぺた家を揺るがすことが起こる・・・
Eちゃんが入院手術したのだ。
きっと、
あの辛い日々で
良くない黒い澱が少しずつ少しずつ
体に溜まって行ってたんだろうね・・・
手術は成功したけど
消化器系なので長かった・・・・・
毎朝病院に通って
面会時間終了の時間まで部屋に一緒に居て
1人で家に帰った。
時には仕事終わりのMOちゃんが迎えに来てくれた・・・
Eちゃんが退院して元気になり
本当の平穏な日々が始まった・・・・・
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