彼氏彼女の事情 しょの2『宝くじを買いに行った訳』
3月14日午前2時6分頃、
瀬戸内海西部の伊予灘を震源とする
マグニチュード6.1と推定される
強い地震がありました。

愛媛県西予市で震度5強を記録したほか
松山市、愛媛県宇和島市、八幡浜市、
久万高原町、伊方町、愛南町、
広島県安芸高田市、呉市、大竹市、東広島市、
高知県宿毛市、山口県柳井市、防府市、下松市、平生町、
大分県国東市、臼杵市、佐伯市、姫島村
で震度5弱の揺れがあったそうです。
皆さんの御無事をお祈りしております。
―――2014年3月14日午前3時追記―――
さて、今でこそ
呑気にのほほんと暮らしてる
かじぺた一家でつが・・・・・・

一家に歴史あり!!(笑)
結構色々あった・・・
一番大変だったのはMOちゃんが横浜の実家に下宿して
Eちゃんの仕事が夜も昼も土日も無く
帰宅時間も何時になるのか
帰って来るまで分からないような時だった・・・
MOちゃんは横浜の写真の学校に3年間通ったんだけど
彼女の入学と同時に、
我が家には先代からの、いずれは・・・の約束の
土地のローンがタイミング悪くのしかかって来た・・・
どうせ、Eちゃんは忙しくて家に居ないし
お金も大変だからバイトするよ!!!
おいらも近所のラーメン屋の
オープニングスタッフになった・・・・・
面接のときの条件は『週3くらい4時間くらいで』
面接してくれた当時28歳の店長は
「おっけーおっけーー!!週3で1日4時間ね!!」
と軽く言い放った・・・・・
しょして・・・
MOちゃんは横浜へ・・・・・・
しかし、当時
えみママは今考えると、
もともと旦那であるかじぺたの父
かじパパから蝶よ花よと可愛がられ
甘やかされて我儘いっぱいでいたのに
51歳の若さで置いて逝かれ・・・
最愛の伴侶を亡くした傷が
10年経ってもまだ血を流したままだったんだろうね
今考えると、
本当に今考えると、ちょっとおかしくなっていた。
2人きりの嵐の家に放り込まれる形になったMOちゃんは
毎日泣きながら電話をしてきた。
(えみママがおかしくなっていたことから起こったであろう)
理不尽さと娘可愛さに、
毎晩電話越しにえみママと大喧嘩した。
何度受話器を投げて電話を切ったことか・・・
あまりにおいらが激高していて
あの人呼ばわりを連呼するさまに
妹のTちゃんとの仲さえ危うくなった・・・
毎晩泣きながら掛かってくる電話。
毎晩母親と親子の縁を切る!!
と泣き叫びする電話越しの親子喧嘩。
そして、Eちゃんは
仕事が忙し過ぎて帰宅は早くてもPM10時
でも、ほとんどは夜中の2時3時
(時には帰宅が朝の5時、6時で数時間仮眠して
また出掛ける・・・って日も・・・)
しかも疲れ切って亡霊みたいになって帰って来る。
おいらはといえば
週3で3~4時間、おっけーおっけー
なんて言ってたのは、どこ吹く風・・・
なぜか店長の「ええーー?!!困るよーー!!」
のひと言で週5~6で朝の9時から夕方5時まで
走り回り・・・・・
あまりの激務にバックレ辞めする輩が続出!!
いつの間にやら
朝のオープニング準備も
厨房2人、ホール2人で2時間かけてたのが
厨房1人、ホール1人で1時間でやれってことになって・・・
前日のお金合わせから始まるから
早出して、さっさと金額合わせしないと自分の首が閉まるので
毎日30分サービス早出して
走り回って、なんとかオープンに漕ぎ着けてた・・・
しかも、金額合わないこと多かったな~~
合わないと朝の時間が無い時に
何度もやり直しするから本当に嫌だった・・
ランチを回すのも実際には物理的に無理!!
くらいの難題を吹っ掛けられ
息つく暇も無かった・・・
妙にだだっ広く効率の悪いホール・・・
お客さんの姿を確認すると
手動の重い戸を開けに走り
笑顔いっぱいで挨拶して
ウェイティングシートに書き込んでもらい
レジを打ち、
例の戸まで出向いて戸を開けて
笑顔いっぱいで大声の感謝の言葉と共にお客さんの送りだし
ひざまずいて
手描きの昔ながらの手書きの伝票に
自前のボールペンで書き入れ
(それも、ちょっと貸して!のひと言で帰って来なくなるから
自分の印に柄入りテープを巻いていた。)
餃子やチャーハン等サイドメニューは
厨房とホール共同の仕事だから
手の空いてる人がやる。けど
誰も手が空いてないから
ほとんど自分がやる。
何をやっていてもラーメンが最優先で
例えばお客様の相手をしているときでも
「ラーメン上がったよ!!!」
と怒声が飛んできて
遅れれば
「のびた!!もう出せないよ!!!」
とラーメンを投げ捨てられるから
お客様にお断りして走って取りに行く
ラーメンをお出ししてから
さっきのお客様の元に戻りお相手の続き。
待ちのお客様が20人とかざらに溢れてるので
終った席は速やかに片付け
どんぶりがすぐに足らなくなるので
食器洗いもやらなきゃいけない。
一番人が少ない時は32席3~4回転
(ランチタイムのみで90~120人くらい)を
ホール2人で切り盛りしてて
(当初は4~5人居た。)
実は最初は厨房に入ってたおいらは
ラーメンも振れるようになってた・・・
アイドルタイムには
厨房で夜の仕込みをしながら
(厨房は全面オープンキッチン)
お客さんが見えると
おいらが「いらっしゃいませ~~
お好きなお席にどうぞーーー」
と入口までお出迎えして席までご案内し
お冷をお出しして注文をお聞きして
無人の麺場に「〇〇一丁!!」と伝票を出しに行き
おもむろに中に入って手を洗って
餃子を焼いて麺を振る・・・
「〇〇上がりましたーー」って自分で言って
ホールに出ると自分でラーメンを運んだ。
お客さんの
『おまえが振るのかよ!!!』っていう
驚きの顔を幾度となく見た(笑)
もちろんレジ打ちもお見送りも・・・
もし、自分がお客さんだったら
こんなラーメン屋、行きたくない(爆)
ONの間は
それでも元気いっぱい!!!
でも、終わると途端に
へとへとに疲れ切って
帰ってコタツで倒れる様に仮眠して
晩ご飯を作って子供会やPTAの役員行って
町内の婦人会の用事してバレーボールも行ってた・・・
お姑ちゃんは「アンタ悪いや~」って云うだけで
町内の用事がある時でも
晩の支度を買って出てくれることは1度も無く・・・
いつ帰るか分からない
帰って来るかもわからない
疲れ切った
青黒い顔をした亡霊旦那を
毎晩、赤黒い気持ちで待ちながら
親子の縁を切る!!って泣き叫びつつの
電話の受話器を投げつけながらの親子喧嘩。
電話の向うで泣きじゃくる娘・・・・・
忙しい上に休めもしないラーメン屋
人数が少ないから無理があるのに
それは自分のスキルが足らない所為だ!!
なんで出来ないのか考えよう!!って言われる・・・
大好きで心配だから
いつ帰るか分からない人の帰りを待って
大好きで心配だから
トイレに行く暇もないの??
トイレに行く間に、ちょこっと連絡くらい出来ない??
って責めたてた・・
それが重荷だって
仕事が大変な事よりも
それが辛い。って旦那はつぶやいた・・・
趣味だった植物はほったらかしになり
荒れ果てた庭は魔女の庭みたいだったけど
それを見ても目に入らなかった。
見ていても心に入って来ないから
何にも思わなかった・・・・・・
追い詰められて・・・
疲れ切って・・・
ある朝、目からしょっぱい水が出た・・・
もう、こんな生活嫌だ・・・・・
そうだ!!宝くじ当てよう!!!
しかも1億なんかじゃダメだ!!!!!!
5億くらいは当てないと!!!!!
そして、旦那に会社を辞めさせて
自分もラーメン屋を辞めよう!!!
MOちゃんは、おいらの実家を出させて
他に部屋を借りさせよう!!!!!
それしかない!!!!!!!
絶対に当てる!!
いや、絶対に当たる!!!!!
当たらない訳がない!!!!!
朝の情報番組で絶対当たる!と聴いた
どこかに赤い印の入った黄色い服を着て
自分にとっては運の悪かった道を通って
南東の方角にある宝くじ売り場に
1万円札を握りしめて向かったのだった・・・
つづく
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あなたの心の宝物が
いっぱいいっぱい増えますように!!!
瀬戸内海西部の伊予灘を震源とする
マグニチュード6.1と推定される
強い地震がありました。

愛媛県西予市で震度5強を記録したほか
松山市、愛媛県宇和島市、八幡浜市、
久万高原町、伊方町、愛南町、
広島県安芸高田市、呉市、大竹市、東広島市、
高知県宿毛市、山口県柳井市、防府市、下松市、平生町、
大分県国東市、臼杵市、佐伯市、姫島村
で震度5弱の揺れがあったそうです。
皆さんの御無事をお祈りしております。
―――2014年3月14日午前3時追記―――
さて、今でこそ
呑気にのほほんと暮らしてる
かじぺた一家でつが・・・・・・

一家に歴史あり!!(笑)
結構色々あった・・・
一番大変だったのはMOちゃんが横浜の実家に下宿して
Eちゃんの仕事が夜も昼も土日も無く
帰宅時間も何時になるのか
帰って来るまで分からないような時だった・・・
MOちゃんは横浜の写真の学校に3年間通ったんだけど
彼女の入学と同時に、
我が家には先代からの、いずれは・・・の約束の
土地のローンがタイミング悪くのしかかって来た・・・
どうせ、Eちゃんは忙しくて家に居ないし
お金も大変だからバイトするよ!!!
おいらも近所のラーメン屋の
オープニングスタッフになった・・・・・
面接のときの条件は『週3くらい4時間くらいで』
面接してくれた当時28歳の店長は
「おっけーおっけーー!!週3で1日4時間ね!!」
と軽く言い放った・・・・・
しょして・・・
MOちゃんは横浜へ・・・・・・
しかし、当時
えみママは今考えると、
もともと旦那であるかじぺたの父
かじパパから蝶よ花よと可愛がられ
甘やかされて我儘いっぱいでいたのに
51歳の若さで置いて逝かれ・・・
最愛の伴侶を亡くした傷が
10年経ってもまだ血を流したままだったんだろうね
今考えると、
本当に今考えると、ちょっとおかしくなっていた。
2人きりの嵐の家に放り込まれる形になったMOちゃんは
毎日泣きながら電話をしてきた。
(えみママがおかしくなっていたことから起こったであろう)
理不尽さと娘可愛さに、
毎晩電話越しにえみママと大喧嘩した。
何度受話器を投げて電話を切ったことか・・・
あまりにおいらが激高していて
あの人呼ばわりを連呼するさまに
妹のTちゃんとの仲さえ危うくなった・・・
毎晩泣きながら掛かってくる電話。
毎晩母親と親子の縁を切る!!
と泣き叫びする電話越しの親子喧嘩。
そして、Eちゃんは
仕事が忙し過ぎて帰宅は早くてもPM10時
でも、ほとんどは夜中の2時3時
(時には帰宅が朝の5時、6時で数時間仮眠して
また出掛ける・・・って日も・・・)
しかも疲れ切って亡霊みたいになって帰って来る。
おいらはといえば
週3で3~4時間、おっけーおっけー
なんて言ってたのは、どこ吹く風・・・
なぜか店長の「ええーー?!!困るよーー!!」
のひと言で週5~6で朝の9時から夕方5時まで
走り回り・・・・・
あまりの激務にバックレ辞めする輩が続出!!
いつの間にやら
朝のオープニング準備も
厨房2人、ホール2人で2時間かけてたのが
厨房1人、ホール1人で1時間でやれってことになって・・・
前日のお金合わせから始まるから
早出して、さっさと金額合わせしないと自分の首が閉まるので
毎日30分サービス早出して
走り回って、なんとかオープンに漕ぎ着けてた・・・
しかも、金額合わないこと多かったな~~
合わないと朝の時間が無い時に
何度もやり直しするから本当に嫌だった・・
ランチを回すのも実際には物理的に無理!!
くらいの難題を吹っ掛けられ
息つく暇も無かった・・・
妙にだだっ広く効率の悪いホール・・・
お客さんの姿を確認すると
手動の重い戸を開けに走り
笑顔いっぱいで挨拶して
ウェイティングシートに書き込んでもらい
レジを打ち、
例の戸まで出向いて戸を開けて
笑顔いっぱいで大声の感謝の言葉と共にお客さんの送りだし
ひざまずいて
手描きの昔ながらの手書きの伝票に
自前のボールペンで書き入れ
(それも、ちょっと貸して!のひと言で帰って来なくなるから
自分の印に柄入りテープを巻いていた。)
餃子やチャーハン等サイドメニューは
厨房とホール共同の仕事だから
手の空いてる人がやる。けど
誰も手が空いてないから
ほとんど自分がやる。
何をやっていてもラーメンが最優先で
例えばお客様の相手をしているときでも
「ラーメン上がったよ!!!」
と怒声が飛んできて
遅れれば
「のびた!!もう出せないよ!!!」
とラーメンを投げ捨てられるから
お客様にお断りして走って取りに行く
ラーメンをお出ししてから
さっきのお客様の元に戻りお相手の続き。
待ちのお客様が20人とかざらに溢れてるので
終った席は速やかに片付け
どんぶりがすぐに足らなくなるので
食器洗いもやらなきゃいけない。
一番人が少ない時は32席3~4回転
(ランチタイムのみで90~120人くらい)を
ホール2人で切り盛りしてて
(当初は4~5人居た。)
実は最初は厨房に入ってたおいらは
ラーメンも振れるようになってた・・・
アイドルタイムには
厨房で夜の仕込みをしながら
(厨房は全面オープンキッチン)
お客さんが見えると
おいらが「いらっしゃいませ~~
お好きなお席にどうぞーーー」
と入口までお出迎えして席までご案内し
お冷をお出しして注文をお聞きして
無人の麺場に「〇〇一丁!!」と伝票を出しに行き
おもむろに中に入って手を洗って
餃子を焼いて麺を振る・・・
「〇〇上がりましたーー」って自分で言って
ホールに出ると自分でラーメンを運んだ。
お客さんの
『おまえが振るのかよ!!!』っていう
驚きの顔を幾度となく見た(笑)
もちろんレジ打ちもお見送りも・・・
もし、自分がお客さんだったら
こんなラーメン屋、行きたくない(爆)
ONの間は
それでも元気いっぱい!!!
でも、終わると途端に
へとへとに疲れ切って
帰ってコタツで倒れる様に仮眠して
晩ご飯を作って子供会やPTAの役員行って
町内の婦人会の用事してバレーボールも行ってた・・・
お姑ちゃんは「アンタ悪いや~」って云うだけで
町内の用事がある時でも
晩の支度を買って出てくれることは1度も無く・・・
いつ帰るか分からない
帰って来るかもわからない
疲れ切った
青黒い顔をした亡霊旦那を
毎晩、赤黒い気持ちで待ちながら
親子の縁を切る!!って泣き叫びつつの
電話の受話器を投げつけながらの親子喧嘩。
電話の向うで泣きじゃくる娘・・・・・
忙しい上に休めもしないラーメン屋
人数が少ないから無理があるのに
それは自分のスキルが足らない所為だ!!
なんで出来ないのか考えよう!!って言われる・・・
大好きで心配だから
いつ帰るか分からない人の帰りを待って
大好きで心配だから
トイレに行く暇もないの??
トイレに行く間に、ちょこっと連絡くらい出来ない??
って責めたてた・・
それが重荷だって
仕事が大変な事よりも
それが辛い。って旦那はつぶやいた・・・
趣味だった植物はほったらかしになり
荒れ果てた庭は魔女の庭みたいだったけど
それを見ても目に入らなかった。
見ていても心に入って来ないから
何にも思わなかった・・・・・・
追い詰められて・・・
疲れ切って・・・
ある朝、目からしょっぱい水が出た・・・
もう、こんな生活嫌だ・・・・・
そうだ!!宝くじ当てよう!!!
しかも1億なんかじゃダメだ!!!!!!
5億くらいは当てないと!!!!!
そして、旦那に会社を辞めさせて
自分もラーメン屋を辞めよう!!!
MOちゃんは、おいらの実家を出させて
他に部屋を借りさせよう!!!!!
それしかない!!!!!!!
絶対に当てる!!
いや、絶対に当たる!!!!!
当たらない訳がない!!!!!
朝の情報番組で絶対当たる!と聴いた
どこかに赤い印の入った黄色い服を着て
自分にとっては運の悪かった道を通って
南東の方角にある宝くじ売り場に
1万円札を握りしめて向かったのだった・・・
つづく
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